ことのはじまり(4)


【この記事は遡及入力です】

by: くとの

 そう、香港の向いに人工的に造られた深センにはきっと「文化」が足らないのです(蛇口近くの海上世界は外国人が多いせいか違った雰囲気でしたが)。「世界乃窓」なんて展示施設を無理やり作ったりはしたようですが(当然、行っていません)…華強北も基本的に電子部品のB to Bの世界のようで、真空管アンプ(とCD)を売っていたところなんかを除いて、コンテンツ自体が見当たりません(ただし、コピーソフトは一掃した、あるいはユニバーシアード期間で一時的に消えていた可能性はあります)。店頭の中古ノートパソコンの壁紙が韓流アイドルグループになっているのが目につきましたが、自国にもアイドルやスターはいるでしょと突っ込みたくなるくらいです。
 日本の電気街では秋葉原も大須も日本橋もそれぞれ歴史を持っていますが、いずれも今やオタク化したとは言え、自作ラジオの時代からコンテンツはどこか意識されていたように思えます。私も日本の電気街の変質に寂しさを感じる一人ですが、深センの華強北を見ると「どこか懐かしさのある電気街」をそうもうらやむことはないようにも感じました。人件費や労務管理コストが上がり、製造拠点が東南アジアに逃げていったとき、深センが流通拠点として、華強北が電子関連産業の集積地として今の地位を保てるとも思えないためです。また、私が行った限りでは、「ラジオ少年」みたいなのは見かけませんでした。やはり、仕事の場所であって趣味の場所ではないのでしょう。確かに、2011年の華強北には活気がありました。何より、店に若い店員が多いことで分かります。そこで働くことに意味があるのでしょう(日本の電気街では客とともに店員も高齢化してしまった感があります)。しかし、コンテンツなき電気街がどこに行くのか、これは分かりません。
 ひるがえって、私たちの「モノづくり」を考えたとき、ただ単に「作る」だけでは意味を持ち得ないことが実感されます(それ自体、非常に楽しいことではありますけど)。もちろん、初音ミクに限定される必要はありませんが、どこか「コンテンツ」たりうることも志向していたい、そこに自分たちならではの「コンセプト」を少しでも込めていきたい、そう感じた深セン行きだったと思います。

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